第五章 権力闘争

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インセンティブ 【罰で相手をコントロールする】

われわれは犯罪者をつくる多くの法律を制定するのみで、
彼らを罰する法律は少ない。
-タッカー-

法の執行は法を制定するよりも重要である。
-トーマス・ジェファーソン-

強制力のない法は燃えない火であり、照らさない灯火である。
-ルドルフ・フォン・イェーリング-

罰でコントロールするとは、相手に罰の力で圧力をかけることによって、相手が自分にとって望ましい行動をとるようにしむける方法です。罰に効き目をもたせるには、次の三条件が常に満たされていなければなりません。

1.罰は相手にとって、嫌なものでなければならない(本人の欲求に反するもの)。自分の何かを奪われる。拒否される。害になる。望ましくないと感じられる、というもの。

2.相手の望ましくない行動を、相手がやめたいと思うほど、罰が強く、相手に嫌だと思わせるものでなければならない。

3.罰せられる状況から、相手が逃げられない。相手が必要とするものを、こちらしか提供できないので、相手がその関係の中にとどまらざるを得ない。

例を見てみましょう。

・武力を行使する。苦痛を与える。
(司法)「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」
(外交)「核兵器を廃棄しなければ、経済制裁を加える。」

・必要なものを取り上げる。与えない。
(官僚が業種に)「OBの天下り先を引き受けないのなら、今後君の会社には仕事は巡ってこないと思いなさい。」

(上司が部下に)「サービス残業ができないのなら、君はクビだ。(給料の供給を停止する)」

(親が子に)「今日、お前は悪い事をしたから、夕食は抜きだ。」

(夫が妻に)「私の言うことが聞けないのなら、今すぐ出て行け!」

相手をコントロールするためには、相手があなたに依存し、あなたを恐れ、その両者の関係から簡単に逃げられないようにしなければならない。

第一章の【主張A】を思い出してください。この主張の中で、市民と犯罪者は利害が対立する関係にあります。しかし、市民も犯罪者もお互いに妥協するつもりはありません。それゆえ、市民は「警官の増員」という罰の力で犯罪者をコントロールしようとするのです。

次に、罰の三条権が満たされていないために、罰が力を失う現象を、「労働基準法」を例にとって解説します。今回は「労働時間の超過」と「残業代の不払い」について取りあげます。労働基準法には次の条文があります。

第32条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。
 使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない。
法庫―労働基準法より。)

要するに、一日8時間週40時間を超えて労働させてはならない、ということです。ただし、労働組合と協定を結べば年に360時間だけ32条の規定を超えて労働させることができます。ただし、その場合は25%増しの残業代を支払わなければなりません。(36条と37条の要約

しかし、この規定は守られていません。資料を見てみましょう。
1.労働時間の超過に関して
週間就業時間が60時間以上の従業者の割合は10%(p.14)
週当たり労働時間が50時間以上の労働者の割合は28.1%
30代男性労働者に限ると、平均週50時間、4人に1人は週60時間以上。100時間を越える労働者もいる。

2.不払い残業に関して
次のグラフをご覧ください。

日本人の年平均労働時間
出典: 関西大学 - 労働時間のコンプライアンス実態とサービス残業 (p.173)

上のグラフには三本の線が引かれています。うち二本は厚生労働省の「毎月勤労統計調査」にもとづく数値です。もう一本は総務省統計局の「労働力調査」にもとづく数値です。

数値の差の原因は調査方法にあります。厚生労働省は、企業に質問をして、企業が貸金台帳をもとに申告する方式を採用しています。一方、総務省は労働者の申告にもとづいて統計をとっています。

企業の申告には、違法な不払い残業は含まれていないので、差分の300時間が不払い残業であると推定できます。次に、規定が守られない理由を分析します。

理由1.利害の対立
企業と労働者の利害の対立。企業からしてみたら、労働者を安い賃金で長く働かせたほうが利益が大きく、一方、労働者は残業費を貰ったほうが利益が大きくなります。この点において、企業と労働者は利害が対立しています。ゆえに、企業はできるだけ規定を守りたくないと考えます。

理由2.罰の三条件が満たされていない
罰の三条権を一つずつ検証していきましょう。

条件1.罰は相手にとって、嫌なものでなければならない。
次のは、労働時間と割増賃金の違反に対する罰則規定です。(抜粋)

第119条 6箇月以下の懲役又は30万円以下の罰金

第114条 裁判所は、賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。

・第114条は要するに、不払いの賃金の倍額を支払わなければならないという意味です。
・罰金は被害者の人数に関らず一件として数えられます。
これは確かに、嫌な罰です。

条件2.相手の望ましくない行動を、相手がやめたいと思うほど、罰が強くなければならない。

1.6箇月以下の懲役について
これは強力な罰でしょう。しかし、懲役刑はとくに悪質な違反に適用されるものであり、違反が続いている現状から推測して、適用されるのはまれであると考えられます。(資料はなし。)

2.30万円以下の罰金について
これが効果があるかどうか確かめるためには、企業の経済力を調べる必要があります。今回は、例として、私が個人的に調べた結果、過去に違反した例のある三社を取りあげます。

(2007年度の利益)

社名 経常利益 従業員数
ワタミ 51億円 3,568名
日本マクドナルド 156億円 5,115名
セブン-イレブン 1,764億円 5,294名

経常利益とは、売上から原価や人件費などの経費を引いた利益額です。)

利益が最も少ないワタミでも30万円の罰金額は利益額の0.0058%です。仮にワタミがすべての従業員に年300時間の不払い残業を命じた場合、削減できる人件費は18億6677万円になります。(平均時給1744円で計算)。もし(全員から)訴えられても30万円の損失で、(誰からも)訴えられなければ18億円も儲かるのなら、リスクをとってみようという気持ちになります。

また、労働時間の超過に関しても、一人当たりの労働時間を増やして雇う人数を減らすことにより、削減できる社会保険料が罰金額を上回るので、罰金を払って超過労働させたほうが利益が大きくなる計算になります。ゆえに、この罰金は相手が望ましくない行動をやめたいと思うほど強い罰ではないと言えます。

3.不払い金と同一額の付加金について
これは、(全従業員への不払い額が同じとして)過半数の従業員が訴えでれば付加金が削減費を上回るので、有効な罰だと言えるでしょう。ただし、訴える人が少なければ企業は行動を変えません。

条件3.罰せられる状況から、相手が逃げられない。相手が必要とするものを、こちらしか提供できないので、相手がその関係の中にとどまらざるを得ない。

残業費の返還が実際にどれだけ行われているか調べてみました。まず、 日本人の平均時給1744円を、不払いの300時間にかけると、52万3200円になります。これを日本の雇用者数5524万人にかけると、国内の不払い総額は年28兆9015億円になります。(ほかにも7兆円説27兆円説があります。)

次に、返還された額を見てみましょう。

 労働基準監督署による残業賃金不払の是正(1件100万円以上)
2003年4月〜2007年3月の4年間で、企業総数5824社、対象労働者総数71万4283人、総金額924億9765万円。
1年当たり1456社、17万8571人、231億2441万円

 平成17年、是正勧告件数。(辻社会保険労務士事務所より。)
◇労働基準監督署の定期監督による是正勧告件数…2,518件
◇労働者の労働基準監督署への申告による是正勧告件数…28,906件
◇返還総額…232億9500万円

返還総額は不払い総額の0.08%です。7兆円説でも0.33%です。これでは「条件3.罰せられる状況から、相手が逃げられない。」を満たしているとは言えません。

企業が罰から逃げられる理由を考えてみましょう。付加金を支払わせるためには、労働者が請求して、裁判所が命令しなければなりません。しかし、その過程にはいくつかの障害があります。

・どんなことが労働基準法違反にあたるかわからない(知識がない)。
・証拠の残し方がよくわからない。
・弁護士費用がかかる。
・裁判のための時間を確保する必要がある。
・訴えて会社の業績が悪化したら共倒れになるので不安。

企業も罰の力を使えます。その関係から労働者が逃げられないケース。
・解雇されたら生活できなくなる、収入が一気に下がる。

個人が告訴するのが無理ならば、労働基準監督官が取り締まるという方法もありますが、それには監督官の数が少ないという難題があります。日本の法人数は296万社(平成18年)。監督官は2,761名(平成6年)。1,072社に1人です。毎年抜き打ち検査をするにしても、一人で日3.4件を処理しなければなりません。さらに、労災に遭う人は年12万5,918人(平成14年)。労働相談件数は年99万7,237件(平成19年)。計監督官一人あたり406件です。

ほかと比較してみましょう。国税庁職員は5万6000名55社に1人。東京都の税務署員は208社に1人。警察職員は28万8,451名、年間の刑法犯認知交通違反事故件数を合計しても、39.4件に一人です。税務署と警察署にはノルマがありますが、監督署にはないそうです。

大事なこと: 何かを義務化する法律を制定するさいは、罰の三条権を常に満たさなければならない。

★罰は子どもの教育にも効果があるか?
別のページで、子どもの教育に罰を用いた場合の副作用について記してあります。この副作用の一部は大人にも表れることがあります。

力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
なぜならば、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。
それゆえ正義と力を結合せねばならない。
-ブレーズ・パスカル-


●インセンティブ 【罰で相手をコントロールする その2】

ある面では企業と労働者の利害が対立していることはすでに言いました。たとえ一個人が“論理と議論の知識”を用いて「法律を守れ!」と言ったところで、企業の圧倒的な圧力に潰されてしまいます。

では、労働者たちはなぜ民主主義を使って法律を変えたり行政を改革しないのでしょうか。被雇用者は全国に5524万人いるので数の上では有利なはずです。その原因をいくつか考えてみました。次のような人がいるのではないかと思います。

◇今のままで満足派
・尊法企業・団体に勤めている。
・仕事が生きがい。

◇仕方ない派
・自分も部下を使う立場なので。
・知識がない。
・エネルギーの欠乏。(長時間労働→問題について考える暇と体力が残らない)
選挙に行ってもむだ。(学習性無力感
・会社にお金がない。
GDPが下がったらどうするんだ。
権利を主張するのは恥ずかしい・怠け者だ・人から拒否される不安。
・居場所が会社しかない。
・サビ残をやめてふつうに競争する自信がない。
・権利を主張すると今までの人生が否定されるから。(認知的不協和

◇そもそもほかにもっと重要な政治問題がある派

以上の人たちが権力闘争から抜けた結果、残りの勢力では数が足りないのでしょう。

★色々調べていたらこんな労働基準法改正案を見つけました、よくできています。興味のある方はご覧ください。『MZRC社会問題研究室 労働法違反には厳しく対応せよ

日本では民主主義はいまだ実現していない。
それは可能性にとどまっている。
日本人が現実だと思っていることはほとんど幻想だ。
幻想はただ現状維持にだけ役立っている。
-カレル・ヴァン・ウォルフレン-


関連記事1: 第一章 論理的な主張の仕方 論理的な思考法1 【正しさ(善悪)は視点(前提)よって変化する】
関連記事2: 権力闘争 【決定権者は誰?】

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目次
■ 権力闘争 【決定権者は誰?】
◇ インセンティブ 【賞で相手をコントロールする】
◇ インセンティブ 【罰で相手をコントロールする】
◇ インセンティブ 【罰で相手をコントロールする その2】
◇ 権力闘争 【分断して統治せよ】
◇ 民主主義政治とは 【政治家の選び方】
◇ 権力闘争 【本音と建前】


本章で解説するインセンティブについては、梶井厚志氏の『戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する』にも記載されています。

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