論理的思考力と論理的な議論




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【論理的思考力と議論】

【上級者の実戦を観察する】

【心理と対話】

【その他】



考えを表現する能力は、
考えそのものと同じくらいに重要である。
-B.バルバ-


第1章 論理的な主張の仕方―サブメニュー

【考えを表現する能力】

【考えそのものを創る能力】


政策のメリット・デメリットは視点により異なる

最終更新日:2016.1.3

この記事は「議論と論題の種類」を読んでいる前提で書いています。それと俺の個人的な思想がかなり入ってるから話半分で読むようにまじで。なお戦略思考ガチ勢は生暖かい目で見守ってください。

今回は視点という新たな前提を足していくぜ!

まずこの記事における言葉を定義しましょう。

「メリット(利点)」とは「利益」を生み出すもののことです。
ここで言う「利益」とは「金銭的なものだけでなくあらゆる”得”」を指します。
「得」とは「快の感情」を生み出すもののことです。
「快の感情」とは「良い気持ち」のことです。
「気持ち」とは「心の状態」のことです。

(「快」というと目先の快楽っぽい印象を受けますが、ここでは長期的な幸福感も含みます)

「デメリット(欠点)」とは「不利益」を生み出すもののことです。
ここで言う「不利益」とは「金銭的なものだけでなくあらゆる“損”」を指します。
「損」とは「不快の感情」を生み出すもののことです。
「不快の感情」とは「嫌な気持ち」のことです。

クドイわwww
異論はあると思うけど今日はこの定義でお願いします!


主張には「メリット(目的・必要性)」という前提があったけど、これの正しさは視点によって変わってしまうのだ、まじで。

どういう事かと言うと、政策論題ではある提案を実効すべきか否かを議論するわけですが、人それぞれ立場が違うから誰の視点で見るかによってメリット・デメリットの有無や程度が変化してしまう。以下例

「テレビ放送における男児の性器の映像を規制すべきか」という議論で、
A氏「子供のおちんちんなら、かわいいから放送してもいいんじゃないの?」
B氏「A氏の意見は大人の視点からの発想ですね。本人は恥ずかしいと思っているかもしれませんよ

っていう感じなんですよ。

「かわいい」は快の感情、「恥ずかしい」は不快の感情です。ここには視点によるメリット・デメリットの相違があります。

その主張のメリットが誰にとってのメリットなのか? 他の人にはどう影響するのか? そこに注目するのが肝心です。視点の違いによる利害の相違に気づかないと、自分の視点が全てであるかのような利己的な意見になってしまい、同意を得られなくなります。また他の人の利己的な意見も見抜けなくなるでしょう。

金銭的な利害の相違

ある都市で駅の建設が進んでいるとします。その駅は赤字経営が予想されていて市民の税金で補填しなければなりません。建設中止の是非を住民投票で議決する場合、駅が市民にもたらすメリットとデメリットを比較して決定すると思うのですが、市民というのは誰のことなのでしょうか? 市民にも色々な立場の人がいるのにみんなが最大限に利益を受けられる結論があるのかなーどうかなー?



Aさんの主張
「建設を中止すると、これまで投資して来た建設費が無駄になるし、駅の近くに大型商店ができれば他市からの来客も増えて雇用も税収も増える。そうすれば市民の利益につながるので賛成」

Bさんの主張
「駅の近くに大型商店ができると地元の商店街が空洞化して市民の不利益になるから反対」

Cさんの主張
「駅の利便性は低いし、赤字の補填もしなければならないのでは市民にとってデメリットのほうが大きいので反対」

実はAさんは駅周辺の地主、Bさんは地元の商店主、Cさんは会社勤めです。

Aさんの場合は、駅が完成すると周辺の土地価格が上がるので赤字補填を差し引いてもまだおいしい。だから賛成なのですが、正直に言っても同意が得られないので、聞き手側の損得に訴えているわけです。それが信じるに値するかどうかは聞き手が自分の頭で考えねばなりません。

Bさんの場合は、大型商店ができるとBさんのお店の売り上げが減ってしまうのでデメリットの方が大きい。でも他の人は大型商店ができた方が便利だと思っているかもしれません。

Cさんの場合は、駅をあまり利用しないのに赤字補填はさせられるので、既に投資している資金を諦めてでも建設を中止した方がメリットが大きいわけです。

政策議論の根底には必ず快・不快の感情があります。この件も一見すると経済的な利害の相違ですが根底には快・不快の感情が存在します。お金がなければ欲しい物が手に入らず不快の感情が発生しますし、お金があって欲しい物が手に入れば快の感情が発生します。だから人は「よい心の状態」を得るために政策議論をしていると言えます。

感情が根底にある主張なら感情論ではないか? と思う人もいると思います。しかし主張の根底に快・不快の感情があるからといって、すぐに感情論であるとは断定できません。感情論とは論理的思考の過程を無視して直感的に結論を出すことです。前提を積み上げた主張は感情論ではなく論理的です。


個人の利益と全体の利益のすり替え

実際のところ政策議論において「みんなで幸せになれる方法」が見つかるとは限らず、誰かが得をする代わりに今回は他の誰かが我慢をするということがよくあります。

だからなのか意識的か無意識的かに関わらず自己の利害を全体の利害とすり替えて主張をする人がいます。

上の例の三者も自分の損得を市民の利益・不利益と言っている点で共通した特徴があります。

たとえば「大型商店ができれば他市からの来客で市民に利益をもたらす」という意見の中の市民には地元商店主が想定されていません。一方で「商店街が空洞化すれば市民の不利益になる」という意見は雇用の増加によって職を得られるであろう失業者を想定していません。

fromdusktildawnの雑記帳さまに良い例があるので引用します。
福祉をベーシックインカムで置き換えてはいけない理由」より抜粋

(ベーシック・インカムとはすべての国民に一定額の現金を定期的に支給するという政策案です。例えば、お金持ちにも貧しい人にも、10万円が毎月必ず支給されるという仕組です)

まず第一に、普通の福祉をベーシックインカムに置き換えると、
得する人と損をする人がいて、得する人がベーシックインカムを支持したがる。

たとえば、年金をベーシックインカムで置き換えることによって
多くの老人は、年金がほとんど増えないかむしろ減るのに、
ベーシックインカムの財源をまかなうための消費増税や相続税増税によって
取られる分が増えることになりかねないので、
話が具体化すればするほど、賛成する動機は薄れる。

一方で、とくに低所得の若者はもともと年金をもらっていないので
たとえ増税されたとしても、増税で取られた分を上回る金が
ベーシックインカムで支給することを見込める。

結局は、福祉をベーシックインカムで置き換えた方がいい最もらしい理由を
並べ立てる人のうちけっこうな割合が、
福祉の実効性やフェアネスの問題を考え抜いてそういう結論になったというより、
単に自分に有利な方へ話を持っていきたいが為に、
政治的なポジショントークをしているだけだったりする。


すげえwよくぞ見破ったww


NIMBY(ニンビー)施設とは?

NIMBY(Not In My BackYard)施設とは「社会に必要なことは理解できるが、うちの近くには建てないほしい」施設のことです。例として空港、軍事基地、刑務所、精神科病院、墓地、火葬場、ゴミ処理場、下水処理施設、ダム、原発、工場、食肉処理施設などがあげられます。

これらの施設をどこに設置するかをめぐって地域住民ともめることがあります。理由は簡単で家に近ければ近いほどデメリットが大きいのに、家から遠くても享受できるメリットは大差ないからです。こういうときに国が建設地域の自治体に補助金、交付金を支給して利害を調整することがあります。このように交換条件の利益を提供して協力を得る方法を「正のインセンティブ」(プラスの動機付け)といいます。

ちなみに、自分の家の近くにできて欲しい施設をYIMBY(インビー - Yes In My BackYard)施設と言います。例えばコンビニや公園ですね。はいこの話終わり。

少数派

議決において数は力ですが、少数派をないがしろにすると将来別の件で自分が少数派になったときに困るので、やはり配慮する必要があると思う。

でも絶対に自分が少数派に転落しないシステム下にいると差別思想に染まりやすいと思う。例えば人種、同性愛、部落などがそうだと思う。

でももし多数派の罪悪感(これも不快な感情の一種)が大きければデメリットが優先して少数派にも配慮するようになると思う。でも罪悪感が無ければ差別の自覚すらないと思う。

もし少数派が武力とか経済力とか、なんらかの力を持っていれば発言力を持てると思うけど、それが無かったら少数派はグループから離脱したがると思う。でも離脱する力がなかったらそのときは差別され続けると思う。

この俺直感で書いてると思う・・・。

あともう一つ、みやきち日記さまにオススメの良記事があるのでぜひリンク先で読んでみてください。民主主義と議決のとってもいい話です。

マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

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あー俺もこれと似た経験あるわー! あれは俺が小学生のとき・・・

先生「クラス委員は誰がいい?」
Sくん(立ち上がって)「Tくんがいいと思います!」
先生「なんで?」
Sくん「Tくんは判断力があるからです」
先生「お前判断力って意味わかって言ってんの?」
Sくん「例えばドッジボールだったら・・・」
先生「これはドッジボールじゃねえよ??」
Kくん「そうだよ!」
Sくん「・・・・・・」(座る)
俺くん「(あれ今のは判断力の説明じゃ・・・でも言うと狙われるから黙っとこ)

カワシマ先生(実名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ。ちなみに俺も田舎の公立校です。なんでこうなった(゚Д゚)


斎丸くん・・・・・・




はい恒例の問題です。答えはドラッグしてください。

最初の例文を思い出してください。
「警察職員を増員する」という主張は、
善良な市民」にとってはメリットがありますが、
犯罪者」にとってはデメリットです。
だから両者の間には
利害の相違」があると言えます。
自明だから考え過ぎないほうがいいよ。

ちなみに、罰則など相手の不利益になる手段を用いて言動を抑止したり強制する方法を「負のインセンティブ」(マイナスの動機付け)と言います。ただし違反者が違反によって得るメリットよりも罰則によって受けるデメリットの方が上回るようにしないと意味がありません。

例えば「駐車違反をした方からは罰金500円を徴収いたします」みたいなのだと、それなら500円払って駐車したほうが得だなと思われます。

さらに執行する力があると思わせなければ意味がありません。

例えば、人を「馬鹿」と罵る行為は侮辱罪という違法行為ですが、実際には取り締まりが行われていないのがバレバレなので誰もやめません。

要するに、約束をした段階で安心してしまって、相手が約束を守らざるを得なくなる方法まで考えて置かないのは手抜かりだということです。


迷惑とはなにか?

私たちは自分の利害だけを取り上げて「迷惑だ」と発言することがありますが、迷惑とは相対的なものであるということを一度把握しておくべきでしょう。これに関してはとつげき東北先生のほうが詳しいので引用します。

「名言と愚行に関するウィキ 『道徳ゲームの終焉』」より抜粋

A「嫌煙家にとっては、彼の周りでタバコを吸われること自体が「迷惑」だ。一方、愛煙家にとっては、「私の周りでタバコを吸うな」と押し付けられるのも、また「迷惑」だ。実際には喫煙コーナーが設けられたりといった、様々な妥協案が出されるわけだが、本当にタバコが嫌いな人にとっては愛煙家の存在自体がもう「迷惑」だし、逆に本当にタバコが好きな人にとっては嫌煙家に文句を言われること自体が「迷惑」なのだ。「他人に迷惑を掛けなければ何をしても良い」などという理念が、こうした実際社会の「迷惑の拮抗」を、どう解決できるのだ? 愛煙家も嫌煙家も、他人に「迷惑」を掛けているのだ。」

B「・・・そうか。」

A「迷惑だと解っていても、せざるを得ないことだってある。君は入学試験に合格して大学に入ったわけだが、君が合格したことで、確実に一人の人間が不合格になっているのだ。君は一人の人間に・・・恐らく「多大な迷惑」を掛けた。だけどそれが解っていても、だからといって君は大学への進学を諦めたはずはない。もちろん、もしそれで大学進学を諦めるなら、それもまた他の人間に「迷惑」だろう。例えば親にとっては、教育費を掛けた息子がそんな理由で大学を受験しないのは「迷惑」なことだ。「迷惑を掛けなければ」なんてこと自体が、到底守れるものではないのだ。結局、生きていく上で「迷惑の拮抗」は避け得ない。」

B「なるほど・・・。」

A「それにしても、「常識」が通用する場合はまだ良い。決まり事を作って、お互いが「常識的に」妥協すれば良いのだから。しかし、君はさっき「殺されることが迷惑だということくらい、常識で解る」と言ったが、「常識」が通用しない場合はどうか。例えば・・・そうだな、宗教だ。宗教には宗教の常識がある。例えばオウム真理教は、理想郷を作るためには殺人も仕方がない、と捉えていた。で、殺人を行った。」

B「許せないよ。馬鹿げた宗教に引っかかって、他人に迷惑を掛けるなんて。」

A「そうとは言えない。オウム信者は「理想郷の完成こそが、人類にとっての究極目的である」というような「オウムの常識」を信じていた。つまり、理想郷のためなら、殺人でさえ迷惑にはならないと思っていたわけだ。迷惑の基準である「常識」そのものが違う。確かに我々の常識から見れば、理想郷のための殺人など、甚だ「迷惑」だ。だけど、オウム信者にとってはそうではなかった。それどころか、我々が理想郷のための殺人を許さないこと自体が、オウムにとっては迷惑だった。そこで、お互いの「迷惑」がぶつかり合ったのだ。その時に我々がしたことは、同じ「迷惑」の掛け合いなのにも拘らず、一方的に国家権力でオウムを潰すことだったわけだ。」

B「君はオウムの味方なのかい?」

A「別にそうではない。どちらかと言えば軽蔑する。だが、重要なのはこの形式だ。どうしたってどちらかが迷惑を被らざるを得ない場合があるということ、「迷惑」の基準を決める常識そのものが異なっていることがあるということ、そしてその場合に我々が選択した解決策は、一方的に国家権力で相手を排除することだったということが重要なのだ。」


このように迷惑は対立して存在するので、それぞれの迷惑のデメリットを比較してどちらを優先するか決めたり、両方の迷惑を同時に解消する画期的な案を考えたり、「私に同意するなら○○を差し上げましょう」と買収してみたり、「俺に同意しないなら××してやる」と圧力をかけてみたりするんですね。

ちなみに「常識」は結論を支える根拠にはなりません。常識は人によって違いますし、たんに「みんなが正しいと思っている事」という程度の意味しかありません。みんなが正しいと思っていたけどやはり間違っていた例はいくらでもあります。

例えば大日本帝国の方針も当時は正しいというのが常識でしたが、現代では間違っていたというのが常識です。もし現代の常識のほうが間違っているのだとすれば、やはり常識が間違っている事になります。なので正しいと思う具体的な根拠を述べましょう。


左メインメニューの「トマス・ゴードン博士の『親業』」の「勝負なし法」のページには民主的に利害の対立を解消する方法を載せていますので、興味のある方は後で御覧ください。


息抜きに某コピペをどうぞ。
事実論題なのに視点により結論が変わる?

【ブッシュ大統領】
訪英したブッシュ大統領は,サッチャー元首相と会談することとなった。
「マダム。あなたの成功の秘訣を是非お伺いしたいですな」
「あら」鉄の女は言った。「それは優秀な人材を集めることかしら」
「もっともですな」ブッシュは深く頷いた。「しかし,どうやって優秀かどうかを見分けるかが難しくはありませんか?」

「簡単なことよ」サッチャーは答えた。「じゃ,やってみるわよ」
彼女は,ブレア首相に電話した。
「こんにちは。トニー。ちょっとした質問に答えてくれるかしら」
「どんな質問でしょうか。マダム」
「あなたのお父上とお母上から生まれた子供で,あなたの兄弟でも姉妹でもない人は誰?」
「はっはっは」ブレア首相は笑った。「それは私です」

ブッシュは,ホワイトハウスに戻ると,さっそく,チェイニー大統領補佐官とラムズフェルド国防長官を呼び出して,例の質問をしてみた。
二人は,しどろもどろとなり,緊急の用事を思い出したと言って,いったん大統領の前を辞した。そして,頭のいいパウエル国務長官を見つけて,例の質問をぶつけてみたのである。
即座にパウエルは「それは私だよ」と答えた。

二人は大統領執務室に戻り,こう言った。
「例のご質問ですが,それはパウエル国務長官ですな」

大統領はひどく落胆した。こんな連中がブレーンでは,次期大統領選は絶望というものではないか。
「どうしようもないな。君たちは」大統領はため息をつきながら言った。
「そんなことも分からないのかね。まったく」
大統領は,二人の愚か者に答えを教えてやることにした。




「答えは,トニー・ブレアだよ」


よく思いつくなー、答える人自身の視点が「あなた」という形で前提に組み込まれているために結論が変化するんですね。

【論理学】
ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」

深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」

ちがうんじゃねーの?

みんな!オラにちっとつ元気を分けてくれ!Tweet

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迷惑 - 名言と愚行に関するウィキ
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