論理的思考力と論理的な議論




当サイトが最も参考にさせて頂いている
小野田博一先生の新刊が出版されます!
『話す・聞く・考える 「論理力の基本」トレーニングブック』
7月31日発売。予約受付中!


【論理的思考力と議論】

【上級者の実戦を観察する】

【心理と対話】

【その他】


(周囲の空手家がクソリプの嵐を表現しております)


ツイッター論客軍!!

まず私がツイッターに関して思うのは、ツイッターを始める前はマスコミの影響でバカッターのイメージしか持っていなかったけど、実際に始めてみたら全く違ったということです。

ツイッターには実名の著名人や大学教授もいて、国内ユーザー数は3500万人(でもおそらくアカウント数)。ゆえにツイッター人口の知性上位0.1%(3万5千アカ)はほぼそのまま日本人口の知性上位0.1%に相当する(たぶんな!)。

しかしマスコミは視聴率を稼ぐために問題を起こす人ばかりを取り上げてしまいます。頭の良い人はあまり取り上げられないので、ツイッターを始める前と後では印象が全く違いました。

ツイッターは文字数制限があるので議論に向いていないという意見がありますが、読む方としては私はすごく楽しく読めています。

おそらく調査、熟考して長文を作成するのが得意な人はツイッターが苦手で、逆に必要な知識は頭に入っていて、ターン数を増やして短文で素早く詰めるのが得意な人はツイッターに向いているのだと思います。なお私は苦手です。

ツイッターのいいところ
・1ターンの文字数が少ないので読むための忍耐力があまりいらない。

・うっすーく引き伸ばした水増し長文でごまかす手法が使えない。

・ターン数が多いので矛盾点の指摘をスルーした場合(または理解していない場合)に追撃されやすい。

・展開が速いので大体1日かからずに優劣が決する。

・匿名掲示板だと頭の良い人を見つけてもすぐに見失ってしまうけど、ツイッターでは基本的に一つのアカウントを使い続けるので、頭の良い人を発見したらずっとフォローできる。そのうち頭の良い人リストができて画面が楽しいことになる。

私がフォローする相手を選ぶときの基準は、自分よりも頭が良くて、自分にも分かる言葉で説明してくれる人であることです。この二つの条件を備えている人は極めて貴重だと思います。

ツイッター画面がバカッターで埋まるか賢者で埋まるかはフォローするメンバー次第だ!精鋭を選び抜け!



ツイッターの議論はTogetterなどを使うと、まとめる事ができます。例として私のお気に入りの議論を紹介します。

【隠者VS要】 対話とは何か?
ターン数が多いと、このような白熱した議論になる。長文だとこの展開になりにくい。

【とつげき東北VSないおじさん】 『差別はよくない』という価値判断の根拠は何か?
とつげき東北先生は当サイトの関連リンクに頻繁に登場する「名言と愚行に関するウィキ」の著者です。

【とつげき東北VSりおし】 『AならばB』の時、『AでなければBでない』という推論は誤りか?
当サイト二章でも登場した逆・裏・対偶の話。後半笑えない。

【fromdusktildawn VS シモジ】 パチンコをする人への生活保護費の支給は打ち切るべき?
後半はベーシックジョブの話。

【ぽんすけVS白霊】 電通社員過労死に関する長谷川秀夫のツイートを巡って激論
月100時間は大本営(ry

【Rac VS 青識亜論】 ヴィーガン議論、動物に権利を与えるべき?
畜産は動物差別なのか? また動物差別は倫理的に否定されるべきなのか? そして人種差別や性差別を否定する者が動物差別を肯定するのは矛盾なのか?


私のお気に入りの精鋭5人を紹介しておきます。フォローすると面白い議論が見られるかもしれませんよ。


HAIEKI - 不遇な家庭環境から這い上がった不屈の反差別思想家。デザイナー。著名人アカウントにも果敢に反論するベテラン。ただし現在は休止状態となってしまっているので代役として思想の近いpush氏を推薦します。

語録

-「差別に反対する」という名のもとに行われる、「差別者はバカ/低階層/病気/障害etcである」という差別は、論理として単純に誤りであることもさることながら、まさしく差別の文化資本化・独占・再生産であり、改善可能性という点において、最悪の部類の差別といってよいでしょう-

-カウンターで関係ない人や味方を殴るという現象が何故起きるのか、これはもう端的に「差別に差別で対抗しているから」です。エイジズムルッキズム、学歴、階級、異性愛規範性などなど。「そんなことも知らないとか童貞かよ」「モテなさそう」とかもそう-

-「反差別だけど精神病者は差別します」「反独裁だけど女性は差別します」「フェミニストだけど低IQ低学歴は差別します」「女性差別には反対だけど不細工は差別します」とか、やるほうは信用を失うだけですが差別されるほうは「この人もか、ここでもか」を何度も何度も繰り返されてきています。

リソースは有限なので全ての差別問題にアンテナを張るのは無理かもしれませんが、「反差別」は「あらゆる差別に反対する」しかありえないので、何かの差別に反対する人は期待されます。この期待と、差別者の側が「あれはいいのか、これも解決しろ」というのはまったく別なことはわかるはずです。-

-「なぜ人権を侵害してはいけないのか」に「人権侵害だから」と言われて「そんなのはトートロジーで納得できない」という者は、より明確なルールを求めて「ヘイトスピーチは表現の自由である。何故なら法規制されていないから」というようなことになっていく-

駄目なものは駄目というトートロジーが最後に残るというのはよくあって、例えば「なぜ殺してはいけないのか」に最大利益とか多様性とかいくら「合理的」に見えることを言っても「では絶対に利益にならない者は殺していいですね」とか「優生学のほうが人類の存続に貢献すると証明します」となります-

最大利益論は「根拠ある優生学」みたいなものが登場したときに抗う論理を持てない。役に立つか立たないかで命に序列を作るな-

-知性というのは善良さに向くようにはできていない、全く別軸のものであるため、「頭は良いが邪悪」どころか、資本主義功利主義においては、「頭が良いので邪悪な選択をする」ということがいくらでも起きる。「全員は救えない……」などとポエムを綴りながら人間の尊厳をトリアージする

-小学校の運動会の時に母親が入院していて、家に金も米も無いし父親は連絡つかないから、給食しか食べるものが無く、運動会当日は水道の水をガブガブ飲んで飢えをしのいでいたら、担任がコンビニ弁当をおごってくれたことがあったな-

-次の都知事候補に橋下や東国原などがずらり挙がり、宇都宮は名前すら出ないのが私たちの社会-

-自分の支持政党は民主→共産→社民と変遷しています 今回は社民に投じました-



とつげき東北 - 当サイトでも引用させて頂いているサイト、『名言と愚行に関するウィキ』の管理人。書籍『場を支配する「悪の論理」技法』の著者。講談社現代新書から当時の史上最年少で『科学する麻雀』を出版。東北大学工学部卒業。北陸先端科学技術大学院中退。元東京大学非常勤講師。国家公務員。平日勤務時間は鍵アカ(週末は開放)だけど申請すれば許可してくれるかもしれない。

語録

-オレが大衆に定義を迫る時は、相手の語が曖昧さを持つ場合だ。言い替えると、曖昧であることだけが唯一彼が「負け」ることから逃れる手段となっているような低レベルな発言をする相手に対してだ。-

-一方、大衆と議論しているとよくあるのは、自分がやばくなると、それまで当然共有されていたはずの語句を持ち出して、いまさら「定義は?」などと言われることである。お前のそれは、おれのそれと違って「逃げ」でしかないだろ。オレが定義を聞くと「細かいことばかり言って、議論全体を見ていない」などと言われるが、違う。オレは議論全体のために「定義」を聞き、お前は議論から逃げるためだけに「定義」を聞く。

-大学生の教養の一つで「本を読むこと」が大切とされているが、それでは全然足りない。思想書とか哲学書を読んで、要点整理したり、反論を原稿用紙10枚程度の短文で記述するなど、「論理的に文章を書くこと」に慣れるとものすごく力がつく。問題集もそうだが、答えを眺めているだけでは実力つかない。

-私は学生時代、哲学書を読み、哲学の講義も色々受けました。結論として、哲学から巣立っていった分野(工学、数学、論理学、実験心理学、脳科学等)は立派ですが、哲学に残った分野は涙が出るほど退屈で、抽象的で、頭の悪い人がカントをありがたがっている世界でした。-

-新入生に課せられるべき最初の課題は、一般教養の「哲学」で、「コギト・エルゴ・スム(われ思う、ゆえにわれあり)」などというバカみたいな発想に「なんでやねん!」と突っ込めるセンスを持つこと、「倫理学」の教授のバカさを論理的に説明できるようになることでしょうか。-

-「正義の逆は悪ではなくて、別の正義である」という当然の認識に関して、バカどもが何か色々語ってるまとめ。 http://chaos2ch.com/archives/4469158.html … 正義なんてねえよww ハーバード大のキチガイ教授サンデルかよw-

-「人種差別がよくない根拠は?」と聞くと、「それもわからないとつげきは低学歴高卒のバカ」とか言われる。いや、根拠は? すべての物事に根拠を考える癖をつけろよ。

いかなる「妥当な価値判断」であれ、その価値に基づいて他者を攻撃するとき、それは常に暴力に他ならないことをよく自覚しろ。「人種差別は良くない」という価値観を他人に強要するのは暴力だ。思想や価値観は暴力に優越しない。-

-それを認めているなら何も問題はない。おれが問題としているのは、そういったことに無自覚に「人種差別はよくない!」と気が狂ったように叫んでいる連中の無様さだ。-

-「人種差別が横行してる世界よりも、無い世界の方が好きだな」と思うことは何ら不思議ではないし問題ない。その考えを他人に押し付けるなら、それ相応の権力や権威、充分な説明が必要になる。

- ISISなんて最悪だ、と思う人はいる。おれも嫌いだ。だが、ISISの中の人々の一部はそんなこと思ってもいない。そいつらをどうするか? 説得するか? 無理だね。権力で排除するしかない。つまり思想や価値観は暴力に優越しない。「人種差別はダメ」ってのは暴力だ。-

-人が何に対して嫌悪感を抱くか(好悪の基準)は脳科学で実証されつつある。-

-例えば「共同体において無差別に共同体成員を殺してはならない」という価値判断だ。これは進化論に基づくとも言えるし、コンピュータシミュレーションでも再現できる。簡単なことだ。-

-今さら気付いてもおせーよ。もう政権はチェンジしたんだよ。「何かが良くなるかも」というゴミ妄想のみで投票した人がいたからな。ありとあらゆる存在の中でもっとも愚鈍な者でさえ、「民主党に投票した」瞬間から、こうなることはわかりきってたろうが。 わかってなかった? じゃあお前ダメだよ。-

-「維新の会」などというポピュリズム政党が政権与党になりでもしたら、民主党の時並か、もっとひどい国になる。-

-さ~て石原さんに入れてこようかね。-



ボルボラ - 『ボルボラのブログ』の著者(特に「考察」のカテゴリをおすすめします)。大学院生時代にブラック研究室を引き当ててしまい、不登校に。化学系博士後期課程中退。手元に残ったのは修士号と950万円の奨学金返済義務。しかし人柄の良さも手伝ってかフォロワーからの助言を頼りに化学系のホワイト企業に就職。

語録

-ある文章内のそれぞれの言葉の意味は、原則として「先に言った方(立論側)が意図した意味」が優先され、反論側は可能な限りそれに合わせるべきだ。もし反論側が立論側の使った言葉の意味・定義を変えてよければ、立論側の論理は容易かつ必然的に機能不全になり、議論は常に後手必勝になる。-

―もちろん「議論のルール」みたいなのはよくあるし、私もいくらか読んだことはあるけども、残念ながら自戒にする以上の用途はなく、目的であろう「ルール違反者を黙らせる/改心させる」力は無い。

―「考える」というのは、大なり小なり、自分自身の思考の中で対立する意見を戦わせるということであり、どちらの意見の代弁者でもあらねばならない。不勉強によってどちらか、あるいは両方が弱すぎる時もあるが、これは避けられない通過点であると思う。―

―右翼が左翼を批判するなら、あるいは右翼でいつづけるには、右翼は「左翼が言いそうなこと」を必ず考えている。右翼的主張をするなら避けては通れない。しかし、自分自身が右翼なら、右翼思想については詳しくても、左翼思想についてはもとより否定的だしそこまで強固なロジックは用意していない。

―私がひとり脳内で「科学vs科学批判」という対戦カードを組むと、どうしても科学批判側は、現実に批判論を強固な論理で展開している人と比べると、圧倒的に弱くなる。だから応急措置として「弱いと思っている側」に可能な限りすり寄ろうとはするのだが、それでも上手くはやれない。

―J.S.ミルには怒られそうだが、「最強の論敵を己の内部に住まわせ」といっても、内心で作る最強の敵は、私の技術力に依存するので、外部にいる最強の敵より遥かに弱くなって、結果、藁人形論法ということになる。しかしこれは、なんだ、その、……しょうがないのだ。―

―うーん、自分で用意するよりも、なにか本を用意して、それを引用しつつ具体的な批判を加えてみる、という方が、脳内藁人形バトルよりも生産的だろうか。どうもそんな気もしてきた。―

―言質を取られないことに特化した主張方法があって、これを使う人々は、どういう批判が来るか予め分かった上で言質を取られないようにしている。なので、すぐさま「そうは言っていません」と返してくる。まあ正しく「そうは言ってない」こともあるので注意は要るが、うっせえ言ったわと思うことも多々。―

原則として「明文化されているところだけで論じる」のは正しいが、明文化されていなくても「ほぼ言ったようなもん」とか「前提に~という(間違った)価値判断がなければおかしい」とかいうことはあるから、言外の部分を問題にする必要も時としてある。

―私が専業主婦に対して、事実ではあるにしてもマイナスの印象を与える事柄だけを選択的に並べたら、実行していることが「事実をただ並べただけ」であっても、実質的には「専業主婦は社会的悪だ(あるいは『劣った存在だ』)」と考えさせる狙いがあると判断され、この判断は避けられない。―

―在特会あたりがよく使う「『外国人』ではなく『不逞外国人』を問題にしている」という論法が一番分かりやすい例かしら。もっとも、分かりやすいからこそ、実のところこの論法の目的を果たせていないのだが。―

―だってこう言われたからといって、誰も「そっか、不逞な外国の人だけで、不逞でない外国の人は問題じゃないんだね!」とは解釈してくれんからね……。―

―って、なんか他人事みたいに言ったが、言質だけ取られないようにしといて、つっこまれたら言い逃れするというのは、冷静でなかったり、とにかく相手が憎たらしくてどうしても負けたくないときは、苦し紛れにやるっちゃやる。人間だもの。―

特に「藁人形論法」とかステキな名称がついている詭弁を覚えたときは、誰かがその詭弁に陥っていると指摘して悦に浸りたいという気分が生じ、最初のほうはこれが上手くいくのだが、無制限に適用してたらこれは違うだろカスという正しい反論を食らって恥をかく。議論クラスタの通過儀礼。全員通る。

―まあでも議論能力(?)の向上に不可欠な過程であるし、恥をかきたくないあまりに沈黙しつづけるのもかえって良くないもの。こういうのは将棋の戦法と同じで、棒銀戦法で素人相手に無双するのも良い経験だし、打ち破られて棒銀が不適切な状況やその限界について学ぶのも同様。―

―議論における「負けて恥をかく」という経験について話すと、「私は常に冷静で論理的であるよう努めているので、そういうことはありません」とリプライを寄越す人が出現したりする(何回かあった)。面倒なので「スゴイですね、尊敬します」と返すが、そんなん負けを認めないだけで簡単に(削除

-J.S.ミルの『自由論』(amzn.to/1MDI3gS)、言っていることは分かるのだが、「自分の意見や行動にたいする批判を、つねに虚心に受けとめ、どんな反対意見にも耳を傾ける」なんて実際に本気でやったら死んでしまうのではないか。-

人間は批判を不愉快にならずに受容できるようには出来ていない。

議論は勝つよりも負けを認めて自分の見解を訂正ないしは取り下げる方が難しく、私も10回議論してそのうち何回出来るか今なお怪しい。もちろん、とにかく相手の方が正しいと考えてペコペコすればいいってわけでもないので、本当に難しい。―

―将棋不敗はメチャクチャ凄いというか、ほぼ有り得ない話だが(羽生善治だって負けるときは負けるし)、議論の勝敗は将棋ほど明確ではなく、かなり自己判断に任されるところがあるため何一つ偉くない。どちらかというと、負けを認めて正しく訂正した回数のほうが議論の強さを表しているとも思う。―

-そうそう、私のツイートへの反対として「議論は勝ち負けじゃない」という意見を何名かの方から頂いた。私が少し言葉選びをミスったのも悪かったが、「絶対的真理」なるものが存在しえない以上、J.S.ミルが言うように「常に反論に勝ち続ける」ことでしか持論の正当性は確保できない。

-ある特定の政治信念が「正当なるもの」かどうかは、その信念の体系が「社会に通用する権力を得た/得なかった」という「勝ったか負けたか」でしか測れない。

-ただ、これもまた単純化しすぎた話ではあって、例えば「いや現在において人権思想が正しさを持つのは、それが合理性や功利性の観点から優れており、『正しかった』からこそであり、お前はこの順序を無視して『勝てば官軍』式の露悪趣味に走っている」という反論もありえる。

-しかし私としては政治信念の対立で『勝てば官軍』の要素は否定できないと感じられる。確かに一見すると合理性や功利性は価値中立的な「基準」らしく響くが、まさにその「基準」は「その政治信念」が都合よく決めていて、いわば「自分が勝てるように設計されたモノサシ」ではないか、という疑念がある

-つまり「人権思想の正しさは人権思想が保証している」面がある。もちろん別に人権思想に限った話ではなく政治信念が全般的にこれなのだが、どうやっても「自分で自分の正当性を保証する」という奇っ怪な理路は避けられず、これがある以上、「勝てば官軍」であることは一定認めざるをえないと思う。

-それにこうしないと「政治信念」としておかしい、という話にもなりうる。たとえば「人権思想の正しさ」が、「功利主義」によって保証してもらって成立する類のものなら、人権思想はあくまで功利主義の下位従属概念ということになってしまう。

-ゆえに政治信念は、本質的かつ積極的に無根拠であろうとする。「根拠がある」とは、ここでは「他の政治信念や価値観で是認してもらえる」ということであり、これに手を出すと少なくとも部分的には「是認してくれた政治信念」に従属を強いられる。

-いや、こういう政治信念の相互作用、ネットワークのようにお互いがお互いを支える構造を、私は少し悪く言いすぎているかもしれない。少し保証してもらったからといって、「すべてにおいて従うことを約束した」と解釈するのは極論だろう。

-支持政党とか議員とか決めた方がいいんかな。しかし私、議員のサイトで配布されているパンフレットとかって論証が少なすぎて本当に興味なくて、なぜ論文レベルのクオリティで書き上げた「私の政策方針とその根拠」をPDF文書で配布していないのか本気で理解に苦しむ。-



ふろむだ/サブアカ(コメント用) - 当サイトでも引用させて頂いているブログ『分裂勘違い君劇場』の管理人。書籍『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』の著者。起業家。近頃は議論してないけどフォロー推奨。

語録

-「誰でも正しいことをすべきだ」ということと、「それを実際にどう実現していくか」ということは、全く別のことなのだ。世の中で正しいことを実現していくには、世の中が正しいことを前提として行動してはいけないのである。-

世の中が無菌室であることを期待するのは、控えめに言って、世間知らずだ。

-ドラマやアニメの正義のヒーローは、正義によって勝つわけじゃない。暴力、もしくは、広義の暴力によって勝つ。正義でないものによって勝つ。

―『大きくて複雑な判断になると、「論理も直感も、両方共間違っている」ことがよくあり、かつ、人間は、その事実を受け入れることができないバイアスがあり、それを知った人は、自分だけは例外だと思う』というところまでは、多くの認知と意思決定の研究者が同意することと思う。―

―「人間の直感は間違う」ということがどんなに科学的に証明されても、その事実自体を人間の直感は間違っていると判断するし、それを理性が受け入れたとしても、多くの場合、自分だけは例外だと直感的に思うが、それを口に出すと独りよがりだと思われるので、「自分も例外ではない」と言いつつ直感に従う

―ほとんどの人間は、「直感の後追いでしかない論理」を組み立てるということも、研究の結果わかっていて、それは確証バイアスと呼ばれています。確証バイアスを避けるためのテクニックが、RCTとかダブルブラインドテストとかです―

―社会心理学者たちが行った「※ただしイケメンに限る」の調査や研究で興味深いのは、イケメンの方が裁判でも選挙でも就職試験でも有利なのに、イケメンに投票した本人たちは、決してイケメンだからではなく、人格と能力が優れているから投票したのだと信じて疑わなかったという点。

―「運を掴み取る努力」をしていた者が成功する、と人々は信じているが、実際には、運よく成功した人間がやっていた努力が努力と認められ、運悪く失敗した人の努力は、「努力のやり方が間違っていた」と言われているだけだ。「何が正しい努力だったのか」は、結果が出た後、過去に遡って決定される。

―成功者は、「自分と同じやり方で成功した事例」をたくさん集めて論拠にするけど、それは全然ランダムサンプリングじゃないから、統計的にはまったく有意じゃない。

―「あてになる経験則」と「あてにならない経験則」がある。「あてになる経験則」は、A/Bテスト的な何かで検証された経験則だ。―

信長は、長さの違う槍で、それぞれ戦わせてみて、どの長さが有効なのか、検証したと言う。「大将の直感的な判断」で意思決定している他の戦国武将が敵うわけがない。直感による意思決定をしているほとんどの企業がデータ重視経営のGoogleに敵わないのと、構図が似ている。―

―なんで多くの企業で、A/Bテストによる意思決定をしないのかというと、A/Bテストなんかするより、単に直感によって意思決定する方が、楽で、低コストで、速いからだ。怠惰で、削っちゃいけないコストを削っちゃうタイプの人々が、A/Bテストをせずに、直感で意思決定し、そびえ立つ糞の山が出来上がる。―

―A/Bテストだと、数百人くらいじゃ、まだ結果が逆転することってよくあるじゃないですか。でも、人事評価だと3回結果を出した人を昇進させようって話によくなる。たまたま3回ラッキーしたその人は「役職が人材を育てる」効果で実力が上がって同期との差が開くけど、これって実力じゃなくて運だよね。―

―運によって成功する → ハロー効果(成功者のやることはなんでも成功するだろうという思い込み) → 人脈とチャンスとポジションが舞い込む → それによって成功確率が上がる → どんどん成功する というループで成功者は出来上がる。才能ではなく、運によって成功者が出来上がる。

―人生が上手く行っている人は、実力とやり方の正しさの結果だと主張して自己正当化したがるし、上手く行ってない人は、全て運だと自己正当化したがるが、それぞれの動機の正しさとは無関係に、現代科学のエビデンス「かなりの部分が運で、人間は運じゃなくて実力のせいだと思いたがる」と示している。―

―ほとんどの人は「成功はほとんど才能で決まる」と思っているので、「成功はほとんど運で決まる」という証拠を突きつけると、驚愕する。人類が「成功はほとんど運で決まる」ということを発見したのは、19世紀になってから。それも人類最高レベルの頭脳によって。普通の人間が理解できなくても無理はない―

-心理学の実験で、「人間はバイオコンピュータのようなものであって、人間に自由意志など無い」というスライドを見せられた被験者は、「人間には自由意志があり、選択によって未来を決められる」というスライドを見せられた被験者よりも、お金をごまかすなど倫理的に邪悪な行動をとったという。

「人生は自分の意志では変えられない」という考えの人が邪悪な行動をしがちなのは、悪事をしても、それは自分の責任ではないことになるからか。自分の意思で自分の人生を変えられると信じるということは、自分の人生に自分で責任を持つということ。-

-人生が全て運だけで決まるなら、「オレがこうなったのは親が悪い」と言いながら親を殴るニートも、強姦魔も脱税犯も殺人犯も、責任はない。-

私はウヨクとサヨクとバカとネゴトとオダイモクが大嫌いなので、自民、公明、民進、共産、どの政党のホームページを読んでも、心底うんざりする。もちろん「支持政党なし」のホームページも突っ込みどころ満載だが、他のどうしょうもないクソ政党どもに比べると、ウンザリ度はいくぶんマシなのだ。-



Iwatam - 『やる夫で学ぶ議論のしかた』の原作サイト『議論のしかた』、書籍『議論のルールブック』の著者。東京大学大学院工学系研究科博士課程退学。エンジニア。なお、つぶやくだけでフォローとかリツィートみたいな交流はしないそうです。でもフォロー推奨。

語録

-討論や議決と違い、対話では勝ち負けはありません。「どちらの意見が正しい」という判断はもちろんしても構いませんが、しなくてもいいのです。ただ単にいろんな意見を聞き自分で考えてみるのです。違う考えの人を見つけたらなぜそういう考えをするのかを理解してください。お互いに意見を言い合い、違う人の意見を受け入れるのが「対話」なのです。理解した上でやっぱり意見が違うのであれば、それはそれ。別に意見を合わせる必要もありません。対話は全員で何かを決めるためのものではないのですから。-

-大事なのは自分で言ったことに自分でツッコミを入れること。これによって、自分の中に複数の視点を持つことができるようになる。常に他人がツッコミを入れてくれる環境では、自分で自分にツッコミを入れることができなくなってしまう。-

読みの基本は3手読み。自分が言ったことに対して相手がどう言うかを想像し、それに対して自分がどう返すかを考える。これができない人は、王手をかけて敵が逃げなければ王さまを取れると思ってしまう小学生並み。-

-情報が正しいかどうかだけを問題にする人がいるが、情報は正しければいいというわけではない。人をだますには、間違った情報を与えては失敗する。そうではなく、正しい情報の中で自分に都合のよい内容だけを選別して与える方がいい。-

-ある説を主張したいとき、詐欺師はその説を肯定する証拠を探し始める。科学者は、その説を否定する証拠を探し始める。

-きちんと説明しようとしている人に対して「でもデータではこうなっている」とだけ言って否定するのは、インチキ学説の代表的な手口なので、むやみにデータだけを振り回す人の説は信用しないほうがいい。

-間違った情報を信じてしまっている人より、正しいが偏った情報しか信じられない人の方がタチが悪い。

-社会にバカが一定数いるのは仕方ないとして、彼らが様々な言説に惑わされて様々な方向に行っているうちは、ベクトルを合計すると0になるからいいんだよ。バカが様々なものを受け取るのをやめて一方向だけに向き出すと困ったことになる。

-あることに対して不安を感じるとき、すべきことは行動することや行動をやめることではない。対象について詳しく調べて、よく知ることだ。

-自分で調べるというのはさ、自分でgoogle検索してみるという意味じゃなくて、現地に行ってみるとか実際にやってみるという意味だよ。本来は。-

-「ソースを出せ」と言われて、実体験を語ることよりもネットのどこかにのっている記事の方が重要視されるのは、根本的に間違っている。-

-「情報のソースを確認しろ」というのは、持っている情報が確実で正しいかどうかを判断しろという意味ではない。二次情報というのは必ず省略が入っているものであり、何がどう省略されているのかを確かめろということだ。-

-唯一神という絶対者がいない日本の社会では、人間にはどうすることもできない運命があるという考え方が受け入れられにくい。逆に仏教では因果応報を教えている。それで、人間にはどうにもならない部分を見極めることができず、どうにかしようと思ってしまう。-

-今の時点で「あの時あれをやっていれば」と言うのは簡単だ。しかし、これを言うには頭を「あの時」にリセットして考える必要がある。つまり「あの時、あれをやるということを考えついただろうか」と。-

-ある問題が起きたとき、主因を考えずに、最後に引き金を引いた人だけに全責任をかぶせてしまうことが多い。しかし、たいていの問題では、原因は1つではない。

-本来、自分に合わせて周囲の環境を変えていくことが「自己責任」なのだが、社会の変化を経験したことのない人は、環境は変わるものだという認識がない。そのため、周囲の環境に合わせて自分を変えることが「自己責任」なのだと思ってしまう。-

-外部からのメールをうっかりクリックしてしまうことがセキュリティ意識の欠如なのではない。そういう人がいることも当然想定して、それでも大事に至らないようなシステムを組まなかったのが本当のセキュリティ意識の欠如なのだ。-

-それぞれのものに対して価値が書かれているものを価値観と呼ぶんだと勘違いしている人がいるようだが、価値観というのは、その価値をどうやって決めるかという方法論のことだぞ。-

-「いろんな価値観がある」ということが、だから別の価値観も取り入れようという方向に行くのではなく、だから俺様の価値観でいいじゃないかという方向に行ってしまう人がいるんだな。-

「世の中には良い価値観とダメな価値観がある」という前提ではなく、「どんな価値観もそれぞれ良い」という前提から始まってしまうと、価値観を取捨選択することができなくなり、自分の価値観を持てなくなってしまう。-

-価値観多様化の時代というのは過ぎ去って、価値観が1つしかない時代に戻りつつある。口では価値観多様化と言いながら、既存の価値観を否定するだけで、別の価値観を提示することができない人が増えている。-

-「主観の違い」で話を終わらせようとする人は、相手がなんでそんな風に思うかってことに興味がないのかな。一番面白い話が聞けるのはそこだと思うんだけど。-

-「あんたの言うことが理解できない」を、その人の意見に反対という意味で使う人がいる。理解できないなら、理解できるようになるまでその人の言うことを黙って聞け。

-「理解できる人にだけ理解されればいい」というのは、実は正しい。本当は理解できる人なのに、一度理解してもらえなかっただけで「理解できない人」と誤認識して切り捨ててしまうのが問題なだけだ。-

-質問者が批判されたとき、自己弁護のため質問者が情報を後出しすることがある。これは、自己弁護をするのが問題なのではなく、質問を客観的に切り出せていないのが問題だ。質問に答えるにはどんな情報を知る必要があるのかということを整理できていないのだ。

-わからないことはすぐ質問するのではなく、何がわからないのかがわかってから質問しなくてはならない。-

-文章を読むことができない人の典型として、自分がした質問に対してイエスかノー以外の答えが返ってきた場合、それが自分のした質問に対する答えだということすら理解できないという事例をわりとよく見かける。-

-「投票に行こう」とだけ呼び掛けて、「どういう人に投票したらいいか、各候補者の話を聞いて真剣に考えよう」とは呼び掛けない人ばかりなのが、ろくでもない政治家ばかりが当選する一つの要因。-

-多数決というのは、良い結果を出すための方法じゃなくて、良い結果にならなくてもあきらめがつくようにするための方法だぞ。-

-某作曲家と某理系女子の違いは、前者は作った物はまともだが創作過程のエピソードが捏造だったのに対し、後者はエピソードは本当だが作った物そのものが捏造だった点。本当は前者の方がまだ価値はあるのだが、エピソードにしか興味のない人は、前者には裏切られたと感じ後者には同情し応援する。

-TPPで、ラチェット条項やISD条項といった、相手に約束を守らせるための当たり前の条項で大騒ぎしている人たちを見ると、日本人には交渉事に慣れてない人が多いんだなと思う。約束をしたらそれで安心してしまって、それが守られないかもしれないということを考慮に入れないような。-

-「正義は存在する。俺こそがそれだ」と言っている人と、「正義なんて存在しない。だからお前も正義じゃない」と言っている人が対立したら、論理的に言って前者が勝つ。

-自分が得をするから受け入れる、損をするから受け入れないというような自己中心的な視点ではなく、世界的視野に立って客観的に、それは正しいのか正しくないのかを論じなくてはならない。もしどこか理不尽に感じるなら、そこには客観的に見て正しくないところがあるはずなのだ。-

-ある行為が「良いか悪いか」というのと「善いか悪いか」というのは全然違うのだが、特に「悪い」の方が、漢字が同じなため区別が難しい。「善悪」じゃなくて「正邪」と書いた方がいいのだろうか。-

「理」ではなく「利」を説く人は信用できない。

-民主党に政権運営能力がないということは3年前の選挙でも既に言われていたのだから、政権運営がひどかったことは今回民主党に投票しない理由にはならんよ。そうなるのは承知の上で前回民主党に投票したんじゃなかったのか。-

-官僚と対決する政権は抵抗されて運営が滞るが、官僚の意のままに操られる政権は事がスムーズに運ぶ。そしてそれが政治家の能力の差だと勘違いされ、前者は選挙に落選する。それが続くと、官僚と対決しようとする政治家はいなくなって、現状がさらに固定化する。-


ここで豆知識

ふろむだ師範はIwatam師範を煽ったことがある。

あの時、伝書鳩してからもう12年待ってるんだけど始まんねえな・・・・・・。




フェミニズムと反差別主義
ツイッターにはフェミニズムや反差別について研究している人達がいます。彼らは差別関連の報道があったときに、“なぜ”それが批判されているのかをいち早く解説してくれるので参考になります。

フェミニストと言えばテレビの田嶋陽子くらいしか印象にない方にとっては新鮮に感じると思うので、興味のある方やそういう仲間が欲しかった方はこの中の気に入った人をフォローすると良いと思います。

HAIEKI さきほど上で紹介した人。
yuuki この人も議論が強い。
Konozama
えいこだん
耳湯
クーコ
雪原
紙魚エビ
チキささ
デビルトラック
さるお
みどりのらいおん
サンテロ
宇野ゆうか 視野が広く人柄も良いのでおすすめ。
Kumiko_meru
ディディ
オリ
パプリカ
水銀
西田藍
えるも
あらら(研究者)
Yukiko Furuya(実名研究者)
森岡正博(実名教授)
尻山シリヲ(ケツ)



みんな!他人のフンドシで勝負してるオラにちっとつ元気を分けてくれ!Tweet





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