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考えを表現する能力は、
考えそのものと同じくらいに重要である。
-B.バルバ-
第1章 論理的な主張の仕方―サブメニュー
【考えを表現する能力】
【考えそのものを創る能力】
最終更新日:2016.1.3
このページは前々回「政策のメリット・デメリットは視点により異なる」を読んでいることを前提に書いています。また俺の思想が入ってるからみんな洗脳されないように気をつけろよ! なお哲学ガチ勢は生暖かい目で見守ってください。
政策論題とはあることをすべきか否かを議論することでしたが、政策論題のなかには価値論題が含まれています。例えば「日本は捕鯨を禁止すべきか」という政策論題には「捕鯨は良いか悪いか」という価値論題が含まれています。
価値観は「視点」により異なり、価値観の相違を認識していない議論が平行線をたどることもあります。
価値観には大きく分けて「価値判断」と「価値基準」の2つがあります。まずは価値判断から説明します。
価値判断とは
価値判断とは、ある事柄について人の主観により「良い・悪い」、「善・悪」、「好き・嫌い」、「勝利・敗北」、「何にどれだけの価値を認めるか」、「何が大事で何が大事でないか」、「物事の優先順位」を判断することです。
■価値判断と事実判断の違い
「この鳥は青い」は事実判断ですが、「この鳥は美しい」は価値判断です。
「ジョージ・ワシントンは米国の初代大統領である」は事実判断ですが、
「ジョージ・ワシントンは米国で最も偉大な大統領である」は価値判断です。
「この部屋の室温は10度である」は事実判断ですが、
「この部屋は寒い」は価値判断です。
「どの映画が最も素晴らしいか」、「どの画家が最も素晴らしいか」は価値判断に関する議論です。
「豊かな国は貧しい国を援助すべき(orすべきでない)」という意見は価値判断を伴っています。
「安楽死を認めるべき(or認めるべきでない)」という意見も価値判断を伴っています。
価値判断を表現する言葉は沢山あります。
プラスの価値→「楽しい」「高揚する」「かわいい」「面白い」「おいしい」「感動した」「美しい」「気持ちいい」など。
マイナスの価値→「退屈」「つらい」「腹が立つ」「つまらない」「まずい」「悲しい」「汚い」「気持ち悪い」「痛い」など。
一歩進んでこんなものも価値判断です。
「自分の家族1人を含む11人が命の危険にさらされている。あなたは10人の他人を助けるか、1人の家族を助けるか選ぶことができる」という状況で10人を助けるのを「良い」とするのも、1人の家族を助けるのを「良い」とするのも価値判断です。
■価値判断は「視点」により異なる
価値の重みはそれを判断する人や、その人の置かれている状況によって変化します。バナナよりもリンゴのほうが好きな人もいれば、リンゴよりもバナナのほうが好きな人もいます。ある服に5万円までなら出しても良いと思っている人もいれば、同じ服に1万円までしか出さない人もいます。ある人はスポーツが趣味で、ある人はアニメが趣味です。
生きたくても生きられない人がいる一方で、もう死にたがっている人もいます。
食べたくても食べられない人がいる一方で、もう食べたくない人もいます。
学校へ行きたくても行けない子がいる一方で、学校へ行きたくない子もいます。
これらは視点による価値判断の違いであり、それぞれがその人にとっての真実です。
あらゆる状況において全ての人に共通する価値判断は存在しません。
分かりやすくまとめたのがコチラ
前提1.Aさんは薄着のときに10度の気温を寒いと感じる。(視点)
前提2.今Aさんは薄着で気温は10度である。(状況)
前提1と2ゆえ.Aさんは寒いと感じる。・・・(結論)
前提が固定されていれば結論も固定されますが、
視点や状況が変化すると結論も様々に変わってしまいます。
価値を判断するための基準が「価値基準」
良し悪しや善悪は価値基準により変化します。そして価値基準は無数に存在します。例えばある人が素晴らしい人であるかを評価するにも、容姿という価値基準、経済力という価値基準、人格という価値基準、知恵という価値基準などがあり、そのそれぞれに良し悪しがあります。
倫理や道徳や主義思想も善悪を測る価値基準ですが、例えば道徳という価値基準のなかにも複数の価値基準が存在します。例えば「礼儀」「誠実」「公正」「公平」「正義」「慈愛」「慈悲」「寛容」「謙譲」「献身」「孝行」「名誉」「忠誠」「共存共栄」「勤勉」などです。
このなかのどの価値基準を選択するかによって善悪の判断に矛盾が生じることがあります。例えば「正義」の定義を「法と秩序を遵守すること」とし、「慈悲」の定義を「たとえどんな相手にでも許しを与えること」とします。そして状況設定を「食料品を万引きした犯人を捕まえたら『もう3日も何も食べてないんです』と言い出した」とします。
ここで正義を基準とするなら警察に突き出すのが善で許すのは悪、慈悲を基準とするなら許すのは善で警察に突き出すのが悪です。善悪は異なる基準の間であるときは矛盾し、あるときは調和しますが、それは何ら不思議なことではありません。
「勝利・敗北」に関しても、例えば「真実の追求」という価値基準のうえでは、議論で正しい主張さえすれば誰からも支持を得られなくても勝利です。一方「選挙に勝つ」とか「論敵をやり込めてスッキリしたい」という価値基準のうえでは、嘘をついてでも大衆の支持を得て盛り上げれば勝利です。
このように別々の価値基準で勝負しているときに「勝ったのに負けた・・・」「善なのに悪者扱いだ・・・」という矛盾した感情が生じるのだと思います。
このように人は善悪を語るときに普通、無意識的になんらかの基準を選び取っています。誰かの言う「良い悪い」や「善悪」には隠れた基準があるかもしれません。
価値基準のランキング
人によって価値判断が異なる理由は、人によって選択する価値基準が異なるためです。人はより多くの快の感情をもたらしてくれる価値基準に高い価値を置きます。要するに価値基準同士のメリット・デメリット比較をしているわけです。
人は自分が高い価値を認めた価値基準における善が行われていなければ、いくら価値の低いの価値基準における善が行われていようと、簡単には納得しません。
例えば「利己主義(自分の利益しか考えないこと)」という基準から見れば犯罪を働いて利益を得る行為は善ですが、ほとんどの人は利己主義にはずーっと低い価値をつけているので、より価値のある「正義」や「公正」を無視して利己主義に走るのは悪であると感じるでしょう。
でももしかしたら群れを作らない野生のチーターは利己主義を至上価値としているかもしれません。
他の例では、
自由主義という価値基準には「表現の自由」が含まれており、
イスラム原理主義という価値基準には「偶像崇拝の禁止」が含まれています。
このように価値基準間で善悪が矛盾しているとき、自由主義により高い価値を認める人は表現の自由が善だと主張しますし、イスラム原理主義により高い価値を認める人は「偶像崇拝の禁止」が善だと主張します。
どの価値基準が上位に来るかはその時々の状況によっても変化します。先ほどの万引きの話でも、犯人がホームレスの老人だった場合と裕福な若者だった場合では正義と慈悲の順位が入れ替わるかもしれません。
相手が老人のときは同情して、罰することに不快感を覚えるかもしれませんが、相手が若者のときは怒りを解消する快感を求めるかもしれません。
もう一つの例をあげます。「知性」のような抽象的な能力を評価するときに、無意識的に一つの基準を選択することがあります。数学好きなら「理数能力」、ディベーターなら「弁論術」、クイズ好きなら「ひらめき」、お笑い好きなら「ギャグセンス」。それぞれが「本当の知性」を名乗りたがり、万能の知性が存在するかのような錯覚におちいって議論が平行線になるかもしれません。
まとめ
前提1.価値基準により善悪の判断が異なる。
前提2.人は己が快を覚える価値基準を上位に置く。
前提1と2ゆえ.人により善悪の判断が異なる。・・・(結論)
普通、人はこの作業を無意識に行っているために、あたかも善悪はたった一つの基準から生まれているかのような錯覚を持つのではないでしょうか。
価値基準を作る価値基準
価値基準自体の価値に順位を付けているということは、その価値を判断するための上位の価値基準もあるということ? それに価値基準はどうやって作られているの? 価値基準を作るための価値基準もあるの? YES あります。
例えば道徳の多くは互恵的利他主義が前提になっているような気がする。 互恵的利他主義とは集団の仲間同士が利他的な行動を取り合うことにより利益を増幅させる行為をいいます。
(Wikipedia)互恵的利他行動は無条件ではない。まず協力することで余剰の利益を見込めなければならない。そのためには受益者の利益が行為者のコストよりも有意に大きくなければならない。
次に立場が逆転した場合に先の受益者が返礼しなければならない。そうしなければ通常、最初の行為者は次回からその相手への利他的行動を取りやめる。(中略)
おそらく互恵的利他主義のもっとも良い例であるのは、チスイコウモリの血液のやりとりである。チスイコウモリは集団で洞穴などに住み、夜間にほ乳類などの血を吸う。しかし20%程度の個体は全く血を吸うことができずに夜明けを迎える。これは彼らにとってしばしば致命的な状況をもたらす。
この場合、血を十分に吸った個体は飢えた仲間に血を分け与える。それによって失われる行為者の利益(縮小される餓死までの時間)は受益者の利益(延長される餓死までの時間)を上回る。また返礼をしない個体は仲間からの援助を失い、群れから追い出される。
さて、個々の人間の感情が価値を測る基準である以上、「あらゆる状況下で全ての人の利益が最大になる無敵の価値基準」なるものは存在しません。まだ発明されていません。
ただし多くの人が多くの状況で納得する割りと合理的な価値基準は発明されています。それらは倫理学として現代の秩序を形成する基準になっています。分かりやすく解説しているサイトを紹介するのでリンク先でご覧になってください。
どうでしたか? 功利主義とか自由主義とか共同体主義を初めて知った方には大変面白い話だったと思います。今まで経験してきた議論で価値観の違いに決着がつかなかった理由がなんとなく分かったかもしれませんね。
さて、あなたは実際にはどの価値基準を使っているのでしょうか? 15の質問を通して価値観をチェックできるページがあります。リンク先で試してみましょう。
どうでしたか? おそらく状況に応じて価値基準を切り替えて対応していたと思います。人間てこんななんですね。おそらく価値観は簡単には変わりませんし人それぞれですが、自分の価値観を保ったまま人の価値観にも寛容になることはできます。
価値観はそれぞれ異なるという前提から出発して、対話では相手の価値観を知るつもりで話し、議決ではなるべくみんなが納得する根拠を話せばいいんじゃないでしょうか。
もし自分には直接の影響はないけど、相手の価値観が本人のためにならないと思うから説得したいときは、当サイトメインメニュー「トマス・ゴードン博士の『親業』」の中の、能動的な聞き方、私メッセージ、価値観の対立を解く方法、のページが参考になるかもしれません。
☆ポイント
・善悪の基準は何か?
・その基準を選択するメリットは何か?
・そのメリットは誰が享受できるのか?
おまけ
カワシマ先生(実名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ Episode2(ガチ実話)
ある冬の日、校庭に雪が積もったので普段は教室で読書をしている子達も休み時間になると、みんな外で遊んでいました。その後、教室で・・・
先生「いつも外でない奴がなんで今日だけ外でてんだ? 今日だけ外でるんだったらいつも外で遊びゃいーだろ? なんで今日だけ本読まねーんだよ? 何でだM、立って答えろ」
Mさん(立ち上がって)「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(下手に答えると怒鳴られるか体罰を受けるので黙っている)
俺くん「(雪積もってたからじゃね・・・・・・は言わないほうがいいな)」
先生「おいO、お前なんで今日だけ外でた?」
Oさん(立ち上がって)「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
俺くん「(先生はいつも外で遊ぶのが一番正しいと思ってるんだ・・・)」
先生「座れ、おいSなんで今日だけ外でる奴がいんだ?」
Sくん(立ち上がって)「雪が・・・」
俺くん「(おいやめろ)」
先生「雪降ってるから外でんならいつも外でりゃいいだろ! なんで今日だけ出てんだよ?」
Sくん「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
異端者をすべて吊るし上げるまで続いたとさ。義務教育のクオリティぱねぇよ・・・。
斎丸くん・・・・・・。
みんな!オラにちっとつ元気を分けてくれ!Tweet
関連サイト
善悪の基準は所詮人間の視点 - Yahoo!知恵袋
全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記(アーカイブ)
(議論テク)根拠としての名言提示の誘導 - 名言と愚行に関するウィキ
迷惑 - 名言と愚行に関するウィキ
自殺は悪か - 名言と愚行に関するウィキ
ベンサムの功利主義 » The Gravity of Justice
心理学者ポール・ブルームの反・共感論 - 道徳的動物日記
マイケル・サンデル ハーバード白熱教室 Part1 (動画)
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第1章 論理的な主張の仕方―サブメニュー
【考えを表現する能力】